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私は知立市にて大工職人の家に昭和35年12月23日昭和天皇と同じ誕生日に生まれました、子どもの頃は「伊勢湾台風の次の年だね」とよく言われました、
男ばかり3人兄弟の長男でしたので子どものころから将来は大工になるんだと何の疑問もなく思っていたし周りからもそのように育てられていたように思います。
そんな環境で育った私は建築科の工業高校に進学、卒業後は地元ゼネコンにて修行、退職とともに結婚、家業の後を継ぐため2級建築士から宅地建物取引士取得そして1級建築士と1級施工管理技士を取得、30歳までに建築に必要な資格は全て取得しました、退職後は大工から工務店の経営のため元請けに移行し木工事に限らず鉄骨工事から外構工事など官庁工事も受注してました、
もともと父親は大工でしたので常時6人ほどの大工が職人がいて主に下請大工をしながら営んでいましたが、 私は家づくりが好きでしたので建設業の許可、設計事務所の許可を申請して下請けから元請けに変更、直接お施主様と打ち合わせを重ねながらの家づくり。プランから自社設計自社大工の建設会社として現在に至ります。
仕事に限ったことではなく趣味にしてもそうですが、石の上にも三年、継続は力なり、桃栗三年柿八年というべきなのか一つのこと長く続けていると気づくことが多くあります。今回は気になったことを少しお話させていただきます。
これはどうかと思いながらも業界では当たり前の事、他人のふり見て我が振り直せと気づくこともありました、特にお施主様からの一言は勉強になります。ハッとしたこともありました、私たちの振る舞いが大変ご迷惑をかけたこともありました。
工業高校建築科を卒業して40年以上この仕事を続けてきました、還暦を迎え気づくことが多くあります、もしかしたら家をつくる業者の視点からみた家づくりが、これから家づくりを始めようと思われる方に参考になるかと思いお話しさせていただきます。
大工さんだけで家づくりが完成するわけでありませんが、ハウスメーカーの家も建売と言われる分譲住宅も注文住宅も木造であれば大工さんが主に家づくりを行っています。一般に大工さんと言えば左手にノミ右手に金づちを持って仕事をしているようにイメージされますが、今ノミを使って家づくりをする大工さんはほぼいません。
家づくりにノミとかカンナは使わなくても家はできます。と言うよりメーカーのハウス分譲住宅は大工さんというより木を扱う組み立て屋さんというイメージです。ではノミを扱う大工さんはいなくなったかと言えばそうでなく少なくなりましたが今でもいます。
昔から地元で一般の家をつくる大工さんは今でもノミは使えます。何故なら今でも必要だからです。分譲系ハウスメーカーの新築住宅ではその技術はあまり必要とされていませんがリフォーム、増築工事、在来木造住宅の改修工事など職人の技術は必要とされていますが、かなり少なくなっています。新築は工事できるが増築リフォームは請負できませんということが無きにしも非ず。まして自社に社員の大工さんがいる工務店はかなり少くなりました、
今では構造材を工場で加工するプレカットが当たり前ですが、20年程前までは大工さが全て墨付けから手刻みで加工していましたので手仕事で道具を使うことは珍しい事ではありませんでした。
つまり家づくりにノミが使えるかどうかが問題ではなく使える職人さんは木の癖を知っています。そのため納まり、仕上がりに大きな違いが出ます。良いものほど経験のある大工さんでなくては扱えません。手刻みの経験のない大工さんは柱梁など重要な部分に関わるリフォームが苦手です。もしかしたらできません、つまり職人不足と言われるのはこの違いからです。
新築はできるがリフォームはできない、職人の大工さんは少なくなりました。そのためか最近出来の悪いリフォームの話はよく聞きます。
デザイナーズハウスとかデザインに優れているといわれる家の写真をよく見ることがあります。デザイン住宅という基準がわかりません。内部は真っ白い壁に巾木のない壁に窓には枠もなく天井までの大きな建具、外観も木造では無理がある2階の持ち出し壁、角に柱のない家、入り組んだ屋根の形など無理があるようなものもあります。たとえば長い片流れの鉄板屋根に普通の雨樋が付いているこれでは少しの雨であふれてしまう。南も東も小さな窓、雨漏りしそうな陸屋根と切妻屋根の組合せ、目地のない外壁、壁一面大きな木製サッシなど機能を追求した結果このデザインになったのであれば良い事かと思いますがどちらかといえば変わった仕様で奇抜なテクスチャーの建材を使いデザイナーズ住宅と呼んでいるものが多いように思います。本来のデザイン住宅を生業とする設計事務所であれば建てた後に後悔されることはしないはずです。見せる家、モデルハウスなど住まない家では奇抜な家もいいでしょうが一生住む家です。私は飽きないというコンセプトのデザイン、住みやすいデザインが住宅には大切かと思います。
家を建てるというのは土地のある方で分譲住宅や分譲マンションは家を買うといいます。どちらにしても自分の名前で登記した不動産を持つということには変わりありません。
土地のある方に限ったことといいましたが更地だけでなく建て替えもそうなります。
現金で家を建てられる方は別として私が仕事を始めたころは方位学を用いたプランに年廻りで建築時期を決めていることもよくありました、また建てる方の多くは50歳を過ぎていました、なぜなら工事費のほとんどは貯金を使い不足分はローンを使い最後は退職金で完済していたようです。そのためか家は自分が住むというより後継ぎのための住宅となり、後継ぎが住む期間の方が長くなります。今は30歳前半で家を購入することは珍しくなく土地を含めて全額住宅ローンということもあります。例えば35歳から35年の住宅ローンを組んで毎月10万前後の返済で70歳には完済予定なんてことはよくあることです。以前はできなかったことも可能になります。
住宅を購入して新車も乗る少ない返済で期間を長くすることで可能な場合もあります。返済率とか年収などの諸条件はありますが自己資金を使わないようにされる場合は早めに準備した方が良いかもしれません。家を建てる時期は家族構成の条件もあるでしょうが現金で用意できる場合を除き今はローンの返済可能な時期が建て時の一つになるかと思います。
建物の大小はあれど30年程前の間取りは仏間を中心に続き間の和室に東にLDK、一番寒い北西には夫婦の寝室、北にはトイレなどの水廻りを配置、二階がある場合は階段を挟んでほとんど2室で総二階の家などなく2階にはトイレはありませんでした、玄関は南側が多く広縁などもありましたそして厄年に関係した年廻り、家相を気にされる方が多くトイレ流し台など水廻りの位置、鬼門に裏鬼門が玄関にかからないようにとの要望が多くなかなか間取りが決まらないことが良くありました、
土地は広く今に比べれば大きな床面積でしたが、昔の家は住みにくいとよく言われます。それは和室が多く収納が少なかったためかと思います。確かにリフォームを行っているとよくわかります。仏間中心考え和室が3室も4室もありました、これはお施主様の要望の一つに「何かあった時のために」続き間を計画しました、人が多く集まることとは盆正月の他不幸など又年忌など自宅で行っていたためです。収納が少ないのはパントリーとか納戸とかの概念はなく押入れは布団を入れて部屋にはタンスを置いて収納していました、クローゼットはタンスでした、
以前に比べたら敷地も床面積も小さくなったが今のプランは合理的にできています。駐車場は最低でも2台分確保され軽が止められれば3台分欲しいと言われます。残りの敷地に要望のプランを考えるために総2階のプランになりますが動線から機能的であり玄関の収納からパントリー子ども部屋にはクローゼットまであります。家具屋さんが少なくなったのは住宅にクローゼットが付いたことも一つの要因だと言われてます
外観は大きく変わりました理由はいろいろあれ以前は入母屋の屋根に棟瓦を何段も積んだ大きな屋根に木製の霧除け、雨戸など純和風的な建物が多くありました、太い柱に丸太梁そして土で葺いた重い屋根、内部も荒壁塗りに部屋は左官屋さんがコテ塗りで柱が見える真壁の仕上げ、敷居は床から15ミリから30ミリ上がった敷居に、6尺高の建具が付いていました、部屋の移動には敷居をまたぐように移動しました、使いにくい部分はありますが使用材料は無垢材を使っての造作など今では高価で使えない高級な物を使って仕上げていました、日本の住宅は夏を快適に過ごすように造られていたといわれてます。断熱性能はありませんので冬は寒いですが、梅雨時期から夏にかけての湿気の多い時期は土壁の調湿作用により玄関に入った途端真夏でもヒヤッとする感覚はありました
外観は2階が1階より小さい下屋根のある家がほとんどでた現在ではよく見かける総二階の家はほとんど見かけませんでした
但し夏は深い庇により日差しを避け、壁の襖戸を開ければ自然の風が抜ける、真壁が湿度を調整、畳でベタベタした感じはなく自然を利用した心地いい住まいでした、
団地内で建て替え工事を行う大きな理由にマイカーの台数が増えたことがあります。昔ながらの一戸建てではあまりありませんが団地内では一軒に一台の駐車スペースしかない敷地が多く2台目までは何とか拡幅して対応するか又は2台目は軽自動車で対応してましたが、子どもが免許を取得して3台4台になると対応ができず広い駐車スペースの確保のために建て替えを行います。そのため道路に面した敷地の一番いい場所には駐車場を確保そのため残りのスペースで住宅のプランを考えます。以前はどこのお宅の庭でも見られた松の木と大きな石のある庭は駐車スペースと変わり今は見かけることもなく
一戸建てがほしいと希望される方は多くいますが家の購入前に土地の購入が思うようにならない。つまり希望の場所の土地価格が高くて予算に合わないという理由が一番です。他に住んでいる周りは市街化調整区域のため家を建てることができない。仮にあっても市街化区域内並みに高価になってしまう。価格に合わせると仕事場が離れる子どもの学区が変わってしまうなど支障がありなかなか土地が決まりません。問題は土地絡みになります
そのため間取りなど納得できないことがあっても土地の条件さえ合えば分譲住宅を購入さることがあるようです。田舎でなく一般の市街地である都市計画区域内であれば土地価格が高騰して住宅の購入費より土地の購入費用の割合が方が多くなることもあります。
こんなプランにしたい、こんなデザインがいい、住むならここにしたい、静かで便利な所がいい、会社の近くに・・・要望は尽きませんが何だかんだと言え一戸建てであれば建築費用分譲住宅であれば購入費用の確保は大きな問題となります。現金が用意される方は問題ないでしょうが、ほとんどの方は住宅ローンを活用しての購入になるかと思います。当たり前のように利用するわけですが、全ての方が必ず借りられるわけでなく何らかの理由により審査が通らない事もあります。また思っている金額を満額借りられるかどうかもわかりません。生涯プランとしては30歳台で住宅ローンを利用して住宅を購入、元金0円全額を35年で返済の計画で65歳で完済となります。わかっているが3000万借りたとしても35年で3000万を返済するわけではなく3000万プラス金利を返済しなくてはなりません。たとえば4000万の借り入れは土地が2000万+建物2000万+金利1500万=5500万円の返済となることもあります。・・・返済金の計算をしてみるとびっくりします。長期ローンが可能になり低金利といわれるものの住宅購入で一番高いのは住宅ローンかなと思えるほどです。
住宅が変わってきたとはいえ40年前住まい20年前住まい10年前の住まいその時代にはその時代に合った住まいだったと思います。和室が中心に家の間取りを考えられた時には自宅で慶事が行われ人が多く集まるために和室の続き間がプランの中心でした、同居が当たり前の時代もありました、今のような二世帯でなく上下の二世帯、それも総二階でなく子世代が2階で部屋数も少ない。水廻りは当然共同2階にトイレが無いのは当たり前、その後二世帯であっても子世帯の生活、親世帯の生活と独立するタイプの二世帯住宅変わってきました、共働きも増え駐車場には4台分必要となり住宅は総2階が当たり前となました、その頃の新築住宅は建材に使用されている化学物質により目がパチパチしたり気持ち悪くなったりすることが当たり前で新築住宅に住むと体調を崩してしまうことがあり問題となりました、その後住宅は健康に配慮されシックハウス対策が行われます。
ホルムアルデヒドなど建材から発せられるガスが体に悪いということで建材の見直しがされました、当時気密住宅がもてはやされたため高気密の新築は住めないということで24時間換気が住宅にも義務化されました、環境問題から断熱効果の悪い住宅は化石燃料の消費が高いので断熱性能の高い住宅となっていきます。福島の原発問題の頃より太陽光発電が一般に使われ始めました、当時は大変高価で1キロワットの設備が100万ほどかかっていました、補助金があったりむ発電した電力を買い取ってくれたりして高価でも設置しました、時代の流れにより住宅も性能が良くなり快適な住宅は施工できます。住まい方も変わりました、自宅の慶事も無く核家族が増え長男が必ず後を継ぐこともなく、老夫婦二人の住まいも珍しくありません、5人家族の家庭は少なく4人家族がほとんどです。大きな家は取り壊され分割して分譲住宅地にそしてそこに3台駐車可能の総二階の住宅が建ちます。
今では当たり前の光景になりました、耐震、断熱、高性能の住宅に住むことが可能となりました、とても安心できる住まいです。 半面古い物を見直すことも増えたように思います。夏の日差しを防ぐ深いひさし、直射日光を和らげる障子の明かり、外と内の間にあり和室の日焼け、断熱効果のある広縁、四季快適に過ごせる効果のあった調質効果のある塗り壁アナログ的なものがなくなりました、ホッとできる温かみのある住宅はすくなくなりましたが、古民家、老舗、京都、高山などに興味があり訪れるのは、もしかしたら本来の住まいに大切にしなくてはいけないのはこの部分なのかと思います。
代表取締役・一級建築士 中垣幸春